ロイヤルバレエ、新演出の「白鳥の湖」

BSプレミアムシアターで、ロイヤルバレエの「白鳥の湖」を見る。プティパ、イワノフ版にアシュトンが追加振付したものを、リアム・スカーレットが改訂演出したニュープロダクション。まず、オデットがロットバルトに呪いをかけられ白鳥にされるプロローグがある。王子は軍人で、友人たちも軍人。現代に近いイギリス王室の雰囲気だ。女王と王子のやりとりは、早く結婚させようとするエリザベス女王と、結婚をさけようとするチャールズ皇太子のように思える。当然、道化と家庭教師は登場しない。代わりに、友人のベンノ、王子の妹の王女が二人登場し、この三人でパ・ド・トロワを踊る。第三幕でもパ・ド・トロワを踊る。女王の側近が実はロットバルトで、王冠を奪うのが目的。花嫁候補は、ハンガリー、スペイン、イタリア、ポーランドの四人。この売り込み方が、ひどく品がない。王子じゃなくても、結婚はやめたくなる。明らかな政略結婚で、それを利用とする娘たちのアピールの仕方がすごい。妃の決め方として、これがイギリスの伝統なのだろうか。ラストは、オデットが犠牲になって湖に飛びこみ、王子が茫然と人間の姿に戻ったオデットの遺体を抱き締める。突飛な振付はなく、全体的に質素な仕上がり。

モースの周辺

モースのファーストネームがエンデヴァーという意味のあるかわった名前であるのと同じように、その周辺の役名もちょっと変わっている。サーズデイ、ストレンジ、トゥルーラブ、ファンシー。それぞれに、役柄と関係があるのだろうか。

サーズデイ

「刑事モース」で、サーズデイを演じているロジャー・アラムは、「警部モース」にもゲスト出演している。つまり、若い頃に晩年のモースと共演し、20年たって新人のモースと共演しているわけだ。しかし、この人、実はすごい人なのだ。ミュージカル「レ・ミゼラブル」のロンドン初演でジャベールを演じたのはこの人。その他にもシェイクスピアの舞台に多く出演している。まさしく名優。

六本木

俳優座5階稽古場で、劇団俳優座の「火の殉難」を見る。二・二六事件直前の髙橋是清周辺を描いている作品だが、古川健の手によるので、いろいろと仕かけがある。かつて、暗殺された人物との回想や、襲撃を待つ青年将校や、とっくに亡くなっている養祖母が時々登場したりする。一番の仕かけはネタバレになるので、ふせるが、ちょっと無理な設定かも。だんだん、仕掛けが見えてくるので、あまり衝撃的なラストとはなっていない。

マクミランの「うたかたの恋」

BSプレミアムシアターで、ロイヤルバレエの「うたかたの恋」を見る。クランコの同窓生、マクミランの作品。メロドラマとして描いている映画に反発して作った作品らしいので、映画の邦題をそのまま使うのはどうなのだろうか。原題通り「マイヤーリング」とした方がいいと思う。とにかく、激しく刺激的な作品。アシュトンの穏やかで無難な作品と、マクミランのこうした刺激的で主張の強い作品で、ロイヤルバレエはバランスをとっているように思える。

クランコの「オネーギン」

BSプレミアムシアターで、シュトゥットガルト・バレエの「オネーギン」を見る。東京バレエ団で見た事はあるが、本家の公演は初見。なんと、マリシア・ハイデが乳母役で出演している。驚いたのは、彼女が思いのほか小柄なこと。現在でも、本家はもとより、世界中のバレエ団がこの作品を上演し続けているくらい、この作品は素晴らしいのだが、彼女がいなかったら、この作品は生れなかっただろうし、ミューズの存在意義は大きい。

モースのファーストネーム

誰からも「モース」と呼ばれるモースのファーストネームは、エンデヴァーEndeavor。直訳すると、努力。モースの母親がクエーカー教徒で、普通は名前に使わない意味のある言葉を名付けたそうで、モースはそれがいやで、ファーストネームを名乗らないし、聞かれても答えようとしない。「刑事モース」の原題は、Endeavorなのだが、ただモースのファーストネームというだけではなく、努力という意味もこめているのだろう。おそらく、モースが匿名で寄付をした若手音楽家のためのEndeavor奨学金も、ルイス以外の人には、それが名前だとは思われていないのだろう。

下北沢

『劇』小劇場で、SPIRAL MOONの「物語のあるところ」を見る。4人の作家による6本(登場人物が2,3人)の短編朗読会ということで、ひと公演3本ずつの上演。舞台の前面に紗幕を張っているので、ちょっと見にくい。リーディングだからこそ、役者の表情をきちんと見たい。

清澄白河

深川江戸資料館小劇場で、座☆吉祥天女の「蛍」「大つごもり」を見る。久保田万太郎の二本立て。つい、昭和時代に見た舞台を思い返してしまう。清澄白河駅周辺のラーメン屋など店がいくつか閉店していた。帰りは赤札堂で買物。

六本木

俳優座劇場で、俳優座劇場プロデュースの「嘘」を見る。現代フランスの喜劇(といっていいのか)で、いかにも、ヨーロッパ的な雰囲気の作品。登場人物は二組の夫婦で四人だが、ほとんど二人芝居。六本木は普通ににぎやか。帰りはLincosで買物。

下北沢

東演パラータで、劇団東演の「霞晴れたら」を見る。病室を舞台にした作品。20年以上前だったか、同じ作者(ふたくちつよし)の男性版を見たが、それを基本に女性の病室にした作品。下北沢駅周辺はいつもと変わらずにぎやか。どこの店も人が入っている。しかし、なくなった店も多い。

ヌレエフ版「シンデレラ」

WOWOWで、パリ・オペラ・バレエの「シンデレラ」を見る。30年代のハリウッドを舞台にしたヌレエフ版。87年にニューヨークで見た以来なので、30年以上ぶり。しかし、このバージョンでずっと上演されていることが素晴らしい。この作品だけでなく、今でもレパートリーに存続しているヌレエフ版は多い。バリシニコフ版が、彼がABTを去ってからすっかり上演されなくなったのと対照的だ。

両国

シアターχで、ワンツーワークスの「忖度裁判」を見る。裁判員裁判についての作品。全員一致のアメリカの陪審員裁判と違い、多数決で決められるので、すべてがいい加減で軽く見える。

リードとモース

「クリミナルマインド」のドクター・スペンサー・リードとモースはよく似ている。天才的に頭がよく、直感力がある。必要以上に物知りなため、人が間違ったことを言うとすぐ訂正する。ついつい知識を述べ立ててしまうので、他人から見ると、嫌みで自分の頭の良さをひけらかしているように見え、そのせいで、友達が出来ないし、回りから孤立する。拳銃を持ったり、犯人を追いかけたりする姿が全く様にならない。近くに愛する人がいるのに、その愛を認めることが出来ない。モースの推理はリードが行っている行動分析や地理的プロファイリング、読解力に近いものがある。リードにとってのホッチが、モースにとってのサーズデイ。上司ではあるが、モースのことを面倒みなくてはいけない子供のように思っている。理解してくれる人が回りにいて、守ってくれていることも共通している。たぶん、リードは一生、結婚できないだろう。

都立大学

都立大ノアスタジオで、稽古場ダンスを見る。4月に予定されていた公演。他のスタジオのレッスンに人がいっぱい、商店街にも人がいっぱい。で、帰りは駅前の東急ストアで買物。

下北沢

小劇場楽園で、下北澤姉妹社の「母樹」を見る。二年前に上演した作品のダイジェスト版。四人での公演で、60分。作品のシチュエーションは、わかりやすかった。

北千住

北千住BUoYで、さんらんの「掘って100年」を見る。以前(2年前)は、駅から住宅街を通って行ったが、今回はミリオン商店街を通る。商店街といってもあまり店はなく、静かというかさみしい。スーパーもコンビニもない。

かぐや姫

クラシカジャパンで、ネーダーランド・ダンス・シアターの「輝夜姫(かぐや姫)」を見る。イリ・キリアンの代表作の一つで、1988年初演。1993年に収録されたもの。日本のおとぎ話が原作、音楽は石井真木、和楽器が使われている。外国人が描く日本物は敬遠したいので、今まで未見。クラシカジャパンが10月で終了し、これが最後のダンス番組になるので、見ることにしてみた。ありがたかったのは、日本を意識したものではないということ。「かぐや姫」をダンス化したわけではなく、「かぐや姫」はあくまでインスピレーションの源というだけで、日本的な振付、日本的な衣裳などは一切ない。ダンスと音楽と美術と照明が統合したすごい作品だ。和太鼓やティンパニなどの打楽器が舞台上に設置され、奏者も移動しながら演奏するシーンは、まさしくダンスとの競演で圧巻。

下北沢

小劇場B1で、名取事務所の「獣の時間」を見る。キム・ミンジョンの書き下ろし。いろいろな意味で恐ろしい芝居。久しぶりに夜公演に出かけたが、地下鉄が思いのほか混雑していた。オオゼキの営業時間が9時までになっているので、終演後、ギリギリで飛び込んで買物。

オックスフォードの景色

モースが刑事になりたての1960年代から、モースの壮年時代を経て、21世紀のルイスの時代まで、オックスフォードの景色がほとんど変わっていない。大学の校舎や古い建造物はそのままで、高層ビルはない。テームズ川や河岸の様子、石畳の道路、パブの中の様子も変わっていない。モース刑事とモース警部が同じ場所に立って、同じ風景を見つめるシーンは、感動的だ。もちろん、「モース刑事」が一番最近製作されているわけだが、オックスフォードの街並みが変っていないので、新人時代のモースを主人公にしたシリーズが考案されたのではないだろうか。

その後のモースとストレンジ 

ストレンジがモースの上司になってからと、モースが若かった頃とを比べてみると面白い。上司であるストレンジには、敬語も使うし、なるべく言うことを聞くようにしている。しかし、感情が激してくると、かつてのようにストレンジをぞんざいに扱う。ひどいことも平気で言う。本来なら、そこで解雇されるようなものだが、ストレンジはモースを理解しているので、軽くいなす。ストレンジがお偉ら方にえつらって、パーティやらイベントに出席することをモースはからかうが、スタレンジはそうやってモースを守っている。たたき上げのストレンジに対して、モースは自分がオックスフォード出身だとひけらかす(本当は中退)。本当に性格が悪いし、他人に対する優しさがない。しかし、モースの死後、ルイスは「モースが優しい人だったら、今の自分はいない」と言っている。人間関係はむずかしい。

モースとストレンジ

後のこと、つまり、スタレンジがモースの上司となって、モースが亡くなるまで彼を理解し、守り続けたことを考えると、二人の出会いは大事なシーン。1964年、モースが刑事になりたての頃、ある現場に行き、先に来ていた制服警官の不手際をいきなり叱る。その警官が、「あなたは誰?」と聞くので、「モースだ」と言うと、「ストレンジ」という答え。モースが、「……」と反応すると、「ジム・ストレンジだ」と名乗る。それが、二人の出会いだった。その時点では、モースの方が先輩で、階級も上。モースはストレンジをいいように利用する。モースなりに、彼のことを認めているわけだ。若い時から、モースは頭が良く、直感力もあるが、社会性がなく、人づきあいや世渡りが下手。その上、自信過剰で、他人を上から目線で見るし、人の言うことを聞かないし、人の好意を受け入れない。結婚できないのも、友人がいないのもよくわかる。ストレンジはその真逆で、着々と昇進し、ついにはモースの上司になる。モースのような人物が刑事として人生を全うできたのは、ストレンジやサーズデーのように(後に部下になるルイスもそうだが)、彼を理解している人物が近くにいたからだろう。そうした、人と人との結びつきが大事なことをモースが教えてくれている。

両国

シアターχで、NLTプロデュースの「BONOBOたち」を見る。見ざる、聞かざる、言わざるは、洋の東西を問わずの表現なのか。いずれにしても、楽しい作品だ。障害者が登場するが、障害者としてではなくて、40代のしょうもない男たちとして描かれているところがうまい。両国も七か月ぶり。

「四季」というタイトルのバレエ

「四季」というバレエが多い。つまり、「四季」という音楽が多いということだ。ヴィヴァルディの「四季」を使かったのは、プティ。「四季」と言えば一番有名な曲だが、案外バレエには使われていない。グラズノフの「四季」は、プティパが晩年に振付し、その後、クランコが振付けている。また、アシュトンが「誕生日の贈り物」で、いくつかの曲を使用している。ヴェルディのオペラ「シチリア島の夕べの祈り」の中の舞踊シーンの「四季」には、マクミランが振付し、その後、ジェローム・ロビンスも振り付けている。ところで、日本では春夏秋冬と言うが、グラズノフとヴェルディの「四季」は、冬春夏秋の順番になっている。確かに、四季を描く構成としては、暗い冬から穏やかな秋に向う方がいい流れなのかもしれない。

ガラ・プティパ

wowowで、マリンスキー劇場の「ガラ・プティパ」を見る。プティパの元振付である、コンスタンチン・ケイヘルの「四季」、バランシンの「夏の夜の夢」第二幕、「眠れる森の美女」第三幕のトリプルビル。やはり、バランシンのバレエを見るとほっとする。しかし、先日見たボリショイの「コッペリア」の方がプティパらしさを堪能できた。

下北沢

駅前劇場で、劇団匂組の「農園ぱらだいす」を見る。客席前方を空けて、ゆったりとした客席なのだが、女性客が多いので開演前の客席はかなりにぎやか。帰りは久しぶりに下北沢のピーコックストアに寄るが、閑散としている。明らかにオオザキに客を取られている。

VHSの整理 キーロフの「コッペリア」

ボリショイバレエによるプティパ振付の「コッペリア」を見たので、キーロフバレエ(現マリンスキー・バレエ)によるヴィノグラードフ振付の「コッペリア」を見直す。このバージョンの特徴は、コッペリウスとコッペリアが踊ること。コッペリウスは人々をコッペリアのとりこにしようと、わざと人が多い時にコッペリアを連れて行って、踊らせる。案の上、フランツや若い男性はコッペリアに夢中になる。第一幕第一場でスワニルダと女性たちで踊られるシーンはフリッツと四人の友人たちで踊られる。また、マズルカ、チャールダーシュは第二幕のディベルティスマンに入れられている。コッペリウスがコッペリアに人の命を吹き込もうとするところはなく、より人間的に描かれており、彼はフィナーレにも登場する。ディベルティスマンには、スワニルダとフランツのパ・ド・ドゥ以外はソロはなく、群舞で構成されている。フランツの友人四人で踊るチャールダーシュが素晴らしい。プティパの振付もいいが、新しい振付(といっても30年前のものだが)も見応えがある。

ボリショイの「コッペリア」

NHKBSプレミアムシアターで、ボイショイバレエの「コッペリア」を見る。プティパの振付の復刻版。衣裳は華やかだし、音楽はいいし、振付もいいし、楽しいし、退屈しないし、長くないし、最高のバレエだ。オッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」と同じ原作なのだが、だいぶ趣が違う。オペラの方は退廃的なムードで、コッペリウスはかなり怪しげ。バレエは、のどかな田舎町の相思相愛の若い男女が無事に結婚できるまでの話に組み込まれていて、コッペリウスもどこの町にも一人はいるちょっとした変人。共通しているのは、音楽が素晴らしいこと。

ボリショイの「ラ・バヤデール」

クラシカジャパンで、ボリショイバレエの「ラ・バヤデール」を見る。グリゴロヴィッチ版の「ラ・バヤデール」は、1993年のボリショイの来日公演で見た以来。三幕構成で、影の王国の場で終了となるのは同じだが、ソロルが神の罰を受け寺院の壁の下敷きになって死ぬというラストシーンが、ニキヤの面影を追って自ら命を絶つという穏やかな終わり方に変っている。改めて見てみると、グリゴロヴィッチが人物の内面を描こうとしているのがよくわかる。構図としては、インド版の「白鳥の湖」で、ソロルは王子、ニキヤはオデット、ガムザッティはオディール、大僧正はロットバルトだろうか。因みに、このバレエで一番好きなところが、黄金の仏像の踊りだ。身長の低い男性ダンサーの出世役みたいなもので、かつては熊川哲也も踊っている。このシーンは本来(マカロワ版では)、最終幕の結婚式の始まる前の寺院で、踊られる。仏像が踊るというのは非現実的なことなので、誰もいない寺院で踊るからこそ、その素晴らしさが生きるように思う。しかし、影の王国で終了する構成だと、第二幕の祝宴のディベルティスマンに入れられ、大勢の前で踊ることになってしまい、そうすると、この踊りの意義が半減してしまうように感じる。ところで、この公演は2013年のものだが、かつてドゥグマンタを踊っていたシトニコフが大僧正を踊っている。ソビエト時代からいる人が出演していることに感激。

恵比寿

エコー劇場で、日本劇団協議会の「クライムス オブ ザ ハート」を見る。ベス・ヘンリーの作品は、サム・シェパード作品の女性版という印象。アメリカでは、都心と田舎では、タイムスリップしているという状況が日本人にはわかりにくいかもしれない。